昨朝の新聞に、
「新しい漢字表」が発表されていた。「常用漢字」と今は言うようであるが、私達の学生時代は「当用漢字」と言われていた。「挨拶」と言う漢字の他にも多くの漢字が選ばれたようである。
漢字のことなら、昔の恥ずかしい思い出話がある。今思い返しても赤面することであるが、父が酒席で私が大学に入学したばかりであったろうか、次のように尋ねて来た。
「キへんにスンと書いて何と読むか?」である。それを聞いた時の第一印象はまるで禅問答のように感じた。その質問を聞いて私は指で空間に線を書いた。
父親は酒飲みで酒の席での話しから、自分の得意な漢字力で、私の学力を確認?しようとしたのだろうか。単に酒飲み話しの相手にされたのであるが、いくらそらんじても何も浮かんで来ない。こんな簡単な文字が何故言葉に出てこないのか不思議であり、焦ってしまった。
終いに父から「アホか!北村の村が分からないのか」と一喝された。全く恥じ入るばかりである。木と寸が交わらない固い頭をしていたようで、未だに思い出しては懐かしというより、恥ずかしい思いが甦ることがある。
何故回答が出来なかったのだろうと、その後、子供達が成長したりした際に、風呂の中で話したり、長い時間の経過後に、孫達が育って大きくなった一番の年長の孫に風呂の中で質問したりなどした。どうもスンナリト回答してしまうようである。自分はあの時何を考えていたのだろうかと思ってしまう。
今回の新しい漢字でも追加があったり、削除があったりと悲喜こもごものドラマが生れるのだろうが、
「パソコンの力」無しでは漢字の表現が出来なくなっている。ましてや今回の「憂鬱」なども読みは出来ても、パソコン無しでは書けはしない。