当初の入院時からノートをベッド横に備え付けて、見舞いの家族に当日の様子などを書き込んでもらっていた。何時誰が来られたのかが分かって良かった。孫達は絵描きノートのように記入したり、別に画用紙に絵を描いて持って来てくれていた。それらを個室の際は壁に貼っていたが、顔等はこれが誰と聞いて成程特徴を捉えていると感心したものである。好きな花は今も娘が届けている。
症状が良くなるにつれて、ノートの記入はなくなった。家内が覚えて報告してくれている。私の朝夕の通勤時の訪問、娘や息子の様子見や部屋の退院者の見舞いなど一種のサロンとなることもあり、家族が一同に揃ったことも何度となくあった。
手術が一向に出来なく、後からの入室の方が先に退院したりして、気分的に落ち込んでいたのが、家族の訪問があって、どれだけ家内の支えになったことかと有難く感謝している。取り分け小さな孫達の訪問は、本人だけでなく部屋の回りにも仕種で微笑まれていた。
7月23日に慎重にも慎重な先生が手術に踏み切られ、その手術に以前の膝手術を執刀された今は外部の整形の先生が立ち会われた。この先生により、病院を転医することになったのであるが、前の病院や現在の病院にも何度も様子を診に来られていた。後から主治医に家内が聞いた話であるが、この先生が人工関節の装着を行われたようである。
余り聞いたことのない話である。一旦退職され開業して専門病院を開業されておられる医者が、一患者のために手術に立ち会われることは稀なことではないかと思われる。余程のことが無い限り部外者?を寄せ付けないだろうと思う。実に有難いことであると思うとともに、年末からの通院時の膝の腫れの訴えが誤診?では無かったのかとも正直思ってみたりもするが、あえてそれをフォローされる勇気に感服する次第である。
手術後現在は、リハビリに勤めている。その中で、先生からの勧めで外出許可が出て、7月30日に半年振りに自宅に戻って来て、美容院で髪をカットしたり、家族全員集合の食事を行ってから再び病院に戻った。
味を占めて8月6日には一泊の許可も出た。この日は父親の25回目の命日であったが、来月に母親と一緒に法要を行う予定である。この法事の日程も当初6月に予定し準備していたが、7月に遅らせ、再々度9月に延ばしたものである。
ところが良い事ばかりは続かないものである。外出許可前に購入したベッドから起きて、横のリビングに皆がいるので慎重に移動していた際にドアの2センチ程の敷居に足が当たったのか、まつば杖が当たったのか前に転倒してソファの袖に前のめりになり、良い方の足の親指の付け根と脇腹を強打してしまった。
この日は看護士の娘からの進言もあり、外泊で夕食申し込みもしていなかったので、家内だけ早い食事をさせ病院に連れて帰ることとした。当直の医師の診断では打撲であろうとのことであったが、週明けのMRI撮影では脇腹の骨にヒビが入っているとのことであった。当直医師は耳鼻科の医師であった。(この項続く)