昨日朝から阪神淡路大震災の追悼ニュースが伝えられ、今朝もそれが続いているようだ。
職場でも、10年前の状況が話に出て、それぞれが人事異動による職場異動があったが、10年前の体験談に花を咲かせた。
その中で皆の共通認識は間違いなく会社は利益を出しており、現在とは違うということであった。当時は、私達総務にも震災救援物資として県の出先や消防関係から大量の注文が入った。「アンパン」などは一日何時間稼動したのだろうか、間接部門の応援も数日続き、一品種をあれほど長時間に生産に費やしたのは始めてである。包材も無くなり無地の包装紙での対応の許可を取り、ひたすら生産に当たった。陸路の輸送は困難を極め、姫路の陸上自衛隊の空中輸送となり、通常のパン箱から段ボールに詰め替え作業も数日間続くこととなった。
若い従業員の中に、現地でボランティア作業に当たりたいと申し出があった。連日の報道から、何とかしなければという熱意からだと思ったが、現在の応援体制の中で、主力が抜けられるのは困ることなので、当社の支援物資の生産に従事することも、社会に貢献することになることを説き伏せたつもりだが、彼は1週間後に被災地を訪ねたことを後で聞いた。
災害時の食品工場の使命を改めて実感したのもこの体験であった。様々な曲折を経て今日に来ているが、確実に右下がりになっている事実が見られる。
帰社後、会社の先輩2人と駅前で落ち合い、寂れてきている魚町で焼き鳥屋を経営している元従業員の店を訪ねた。10年以上も前に退職されたと思うが、その店は夫婦でやりくりしていたが、月曜日でありながら結構賑わっていた。ここにも何か経営のノーハウがあるのだろう。