「芸のためなら女房も泣かす」と歌の文句にあるようで、遊び人は「これも仕事の一環や」「芸の肥やしや」と仕事や、演芸のために必要な経験だからと正当化して、道楽や女遊びをしているそうである。
そんなのは、昔の芸人かと思っているが、タレントの不祥事は後を絶たない。それがどれだけ芸の肥やしになるのか知れないが、下ネタ暴露のお笑いなど、芸ではないと思っている。
最近のタレントの名前も知らないが、バラエティ番組などで顔を出している人が、人気物なのだろうが、何かその場で騒いでいるだけのような気がしてならない。あれが芸というものかなあと一歩引いてしまう。
その点、落語家の方が安心して聞いておられる。最近は落語高座そのものが少ないが、素養がその中に現れているようである。冒頭の歌詞は、確か落語家の二代目桂春団治の話と聞いている。地元姫路出身の落語界の大御所桂米朝師匠の毎週火曜日の朝日新聞夕刊には、面白い過去の芸人と云われる方を紹介されており、聞いたことも見たことも無い方もたくさん紹介されているのであるが、本当に興味深い。現在のような会社組織化した枠外なので、自由奔放に演芸されたのであろう。
自分の本能が趣くままに遊んでいては、女房家族を困らせるどころか、自分が路頭に迷うことになる。何時までも続く、教師や警官などの低俗な性犯罪など、何時になったら終わるのだろうか。石川五右衛門じゃないけど「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」と同じく、男と女が入れば、この手の犯罪が尽きないのであれば、いつの時代も女房が泣くのであろうか。
しかし、これからはこれまでとは逆に旦那泣かせの時代が到来かも知れない。それでは、それは何のために?