大学時代男声合唱団に所属していた。入学式でのこの合唱団の歓迎演奏を聞き鳥肌が立つ思いがした。音楽を聴いてそのような気になったのは始めてであった。
校庭での新入生向け勧誘活動が続けられており、そのクラブの出店に申し出を行って入部と決まった。当時50人近くが入部したのではないだろうか。入部早々、声質などから、テナー、バリトン、バスに分けられ、テナーは高音のトップテナーと次のセカンドテナーに分けられた。自分はセカンドテナーに所属となった。セカンドだけでも40人近くおり、総勢150人の男所帯で圧巻であった。マスプロ授業にマスプロクラブである。
階段教室の教団側に何列も並び、夏の合唱コンクールの練習が直ぐに始まった。その前に明治大学との交歓演奏会が京都開催となって、その取り組みも平行してあったので忙しかった思い出がある。またクラブ活動については別稿で書いてみようと思っている。
先日、子供がバレーボール所属のお母さんのブログを読んでいて、チームに声が出ていないことを嘆いておられたのを拝見して、うちのチームはそれ以上だと思った。チーム名の「ラークス」は「ひばり」のことでピーチクパーチクうるさく鳴く鳥である。なのに今年はさえずりもしない。まるでお城のお姫様である。
スポーツには声出しが一番であるが、スポーツ以外にも、コーラスなどは当然、声を出さないと駄目である。寄らば大樹の影とばかり、口のパクパクだけの者もいる。練習不足の者は他のパートの音程に惑わされて、そちらに吊られて歌う者も入る。また掛け声などを5、6回掛けて急に止まり、余韻を味わうような歌など、練習時には、歌っていて何回目だったかを数え間違えて、止まったのに一人二人続いて飛び出し、笑いを誘う時がある。かく言う自分もこれを何度もして先輩から怒られたことがある。
コーラスであるから、和音のハーモニーが大切である。そのために何度もパート別の練習を繰り返し、そして合同の練習を行う。自パートだけでは味わえないコーラスの魅力を感じる。学生の自主的な運営であるから、技術的なパートリーダーと指揮者がみなの前で喧々諤々と意見を言う場合もある。部長やパートの人事担当者や庶務担当者などの取成しで場所を変えてのディスカッションも行われて、曲を完成させてゆく。高校までの先生が主導の練習でなく、全く全てを創造してゆくイメージである。大学のサークルの凄さを身を持って体験したように思った。
このような過程からテクニカル(技術的)ハーモニーでなく、メンタル(精神的)ハーモニーが得られて来るのである。勿論技術に支えられてのハーモニーであるが、それらを超越したところにメンタルハーモニーがあるようである。
その夏のコンクールには我々1回生も関西合唱コンクールには参加させてもらい優勝した。さらに大所帯なために、この中から選抜された50人が全日本に進み、見事優勝の栄冠を取った。私のような落ちこぼれ組みも、吉報に嬉しさで驚喜したものである。
未だにスポーツでも同じだと思っている。目的とする野球や、バレーの技術的な面を磨き上げる途中で、チームプレーの助け合いがあるものである。一人ではチームプレーは出来ない。皆のそれぞれのポジションでの責任を全うした中で、ファインプレーが生まれ、お互いが声を掛け合い、励ましあって成果が生まれるものである。そこにメンタルハーモニーが生まれてくるのであると思っている。