久し振りにテレビの歌謡番組を見た。そして感動して涙を流した曲があった。まだまだ心はピュアだと思った。
帰ると食卓に家内の置手紙があり、いつものホームヘルパーの仕事で、帰りが遅くなり8時頃と記され、夕食がテーブルに並べられて、レンジで暖めれば良いように出来ていた。
風呂に入りパジャマに着替えてからテレビのニュースを見ながら、新聞を読みながら、食事をしていた。一人ならではのいつものパターンである。7時半からNHKニュースの後に続きチャリティ歌謡番組がされていた。久々の歌謡番組でチャンネルをそのままにして見ていた。懐かしい演歌が歌詞のテロップが流れるので、口ずさみながら見ていたら、家内が帰って来た。食事は終わっていたが食器はそのままで、焼酎の紙パックもテーブルに置いたままであったので、一杯飲みながらテレビを見ているものと家内は思ったようである。次々に素晴らしい名曲が歌われ、歌詞と曲が相乗効果をかもし出し、そこに歌手の感情を入れ込んだものが名曲なのではないだろうかと勝手に名曲の定義を作り出しては聞き入っていた。
最近の曲は無いようで、群馬県からの放送で、地元の交響楽団の演奏をバックに良い歌を聴いた。その中に、昔雪村いずみが歌っていた曲を、若手ミュージカル?の男性歌手が歌っていた曲に、思わず涙した。何十年振りだろう、歌を聴いて涙が出るのは。決して老けたのではない。ストーリ性のある歌に、素晴らしい歌唱力で、歌い語ってくれたものである。雪村いずみの同じ歌も聞いたことがあるが、どうも彼女の高音がキャンキャン叫ぶように聞こえて、それなりに訴えは肌に感じたが、今回の方が、例え小さな坊やの気持ちを伝えるにしても、若い男性歌手の方が受け入れやすく、気持ちがすんなり入っていった。
音楽とも最近はご無沙汰で、大学時代の音楽漬けからすると隔世の感がする。日にち毎日音符とニラメッコノ毎日が、カーラジオから時おり耳にする程度で、自分から最近は音楽を聴こうと思ったことは無い。
それが、たまたまつけたテレビから流れた曲に感動して、涙をためた。涙すら最近流したことが無いのに、自分でもどうしてだろうと理由をつけたがっている一面がある。良かったと感じる心があるということは、未だ心がひねくれていないと言うことだと、素直に取っておきたいものであると、密かに思っている次第である。
家内に涙目を見られるのが嫌で、その曲の後にテーブルを立った。