昨日4時間少しの時間をかけて滋賀県草津市の弟宅に出かけた。時間があったので小旅行するつもりで、8時過ぎに自宅前を通る国道372号線で京都亀岡まで抜けた。
ここまでは、いたって快調にドライブできたが、9号線と合流する辺りから、混雑し始め京都の桂辺りで、丁度11時で、弟から所在の連絡電話が入った。当初11時過ぎ頃到着予定などと安易に連絡していたものであるので、確認電話であった。
京都市内の真ん中を西から、東に抜けるのに渋滞で時間を要し、大津に入っても1号線は進まない状態であった。石山辺りで弟に連絡し、瀬田から京滋バイパスに抜ける道を確認してから、即実行して12時半頃到着した。
何十年振りかで全く周辺の模様も変わっており、直ぐ近くまで来ているのであるが、車で迎えに来てもらった。
先年外壁などの改修したことは聞いていたが、前がどうだったかも忘れてしまっていた。昼過ぎなので、車を弟の車庫に入れて、弟の運転する外車で近くの寿司屋に行った。週末なため良く込んでいた。
食後再び弟宅に戻り、お茶を飲みながら談話して3時頃に出かけた。以前は空き地などたくさんあったので見通しも良くて、方向も確認できたが、家が建て込んで山も見えず、方向性がわからなくなっていた。
昭和47年に結婚して3年間程過ごした、木の川町の団地に行くことにした。30年も行っていないので、大雑把な道は覚えていたが、バス停から団地への道が長いのと、以前は川の高台から見えた県住の姿が見えず、途中で住民に間違っていないか尋ねた次第である。
道は合っていたが、私達が住んでいた棟は取り壊されて、新しいマンションタイプの団地が立っており、当時新築されたばかりの棟は残ったままであった。
その後、草津川の天井川を通勤していた道で、大学を卒業して就職したN社を尋ねることにした。家内も私の入社後2年後に入社してきた会社である。私が在勤中に会社更生法の適用を申請し、再建中に親の病気で姫路に退職して帰省したが、独身中はここの寮に入り、入社したその秋から京都の長岡京市から工場移転の誘致で引越ししてきたので、すべて新しくした会社であったので、思い入れは深い。
そんなわけで、田上の会社を訪ねたが、建屋や入り口の看板は残っているが、ゴーストタウンならぬ幽霊工場のような有様で、鉄鋼廃材処理の業者のようで、折角来たので、事務所に入り、古い様子を知った方を尋ねても、何を言っているのと不審がられる様子であった。
田んぼの中の小高い丘の上に立った工場は、一見古い古城のようでもある。湖南アルプスの下の丘陵地であるが、昔田んぼばかりの土地にベッドタウンが続き、
南郷洗堰を渡り石山寺までの間も住宅地が並んでいた。
昨晩は
大津プリンスホテルに宿泊して、今朝このブログをビジネスルームで書き込んでいる。京はこれから信楽の狸の里に行ってみようと思っている。