朝の通勤時にカーラジオのニュース解説で、「思考停止している」との言葉が解説者から話された。NHKとしては厳しい指摘だなと思っていたら、どこかの大学の先生の解説であったが、何故かその言葉がそれ以後頭の隅に残っていた。
ラインに入って作業していると、流れてくる商品をさばくのに一生懸命で、作業が未熟だとスピードについて行けず、商品の品質のチェックすら出来ない。熟練者だと流石にそのような場面でも、不良品のチェックを怠り無く出来ている。
「行け行けドンドン」で流すことに精一杯の状態では、頭は空白であり、気持ちの上では何とかしたいが、結局流すことの方に主眼が行ってしまう。納品時間など迫られておれば、一つひとつの検品は疎かになり、自分の遅れで後の人に迷惑を掛けたくないとの思いが強くなってしまう。
これが自分の経験からする、現場応援の体験であるが、ここでは先ず、思考停止状態で、自分はコンベヤーの一部の部品となったに過ぎない。
ラインの管理監督者はこれに陥りやすい。自分の部下が一生懸命ラインで遅れがちな生産量をさばくのに必死な際に、傍観者のようには出来なく、人の良い上司は応援に入ってしまう。熟練の上司は、手業も早く段取りも上手に遣って貰える。現場は人手不足を良いことに上司の取り合いである。
得てしてこのパターンが多いのである。勿論良好な職場のコミュニケーションも築かれているが、何故そのような事態になったのか、問題点はどこにあるのか、様々な視点から問題解決に当たらないと、何時までたってもこの職場では同様な問題が起こり、担当上司は「お助けマン」として、いつも現場のラインに入っておらなければならない。
「思考停止」と聞いて、このような状況を思い浮かべた。自分にとっても何も考えずに、「サラリーマン稼業は気楽なもの」と受け取ってすごしているのではとの警鐘にも聞こえてきた。生きていて「思考停止」とは脳死同然と思った次第である。