夏休み中の小学校の校庭の横の市道を早朝散歩する。毎朝の決まった犬を連れてのコースであるが、何時にも増して明るく感じた。
もしやと悪い予感が当たるのと目が、その木に止まるのが同時である。樹齢100年になろうかという楠木の巨木をスッカリ剪定してしまっていたのである。
大きな楠木が二本学校の北西の角にあった。この学校は自分の母校でもあり、姫路市で一番最初の小学校である。最初は男子校であったという歴史ある小学校である。
今回剪定された楠木も、自分が小学校の頃からあった。一本にはこぶが付いているので懐かしい樹である。父親が行き、自分が通い、子供達が通学し、今は孫達が通っている学校である。
この学校の東側に児童公園があり、周囲を桜の樹で囲われていたが、ここも一本の大きな桜の樹を残し、この夏休みに剪定されていた。また来年の春の桜の開花の楽しみがなくなってしまった。
今回の楠木も同じ学校の、植樹政策というか、例の池田小学校の事件以来、学校フェンス近くの植樹した枝などが刈られてしまった。桜の樹もこれまで、何年か同じ目に遭って来たが、まさか楠木までも手をつけるとは思いも寄らなかった。
この学校も夏休み中に、学校のブロック壁を壊して、ネットで内部が見えるように工事がされていた。そのためウサギ小屋なども通行中に外から見えて、朝の散歩時には、ウサギがこちらを見ているようである。
このウサギ小屋も一時、野犬を放たれたのか何かで、ウサギが全滅したニュースも伝えられたことがある。このように解放した形にすると内部のことも良く見えてくる。
しかし、学校には大きく茂る草花や樹木は不要となってきたのではないだろうか。思い出に残ったり、思い出を作り出す植木や草花が、学校安全の名目でいとも無惨に刈り取られたのでは、情操教育など花を大切にしようと言うものが無くなってくるように思われる。それなら今からでも変わりになるものを植えれば良いのである。それでないと、春に桜が咲かず、夏には大きくなったといって、サボテンのように無粋に剪定してしまい、学校を取り巻く緑の環境が無くなってきている様に感じる。蝉も大きな楠木が剪定されれば、大合唱もなくなるが、寂しいことである。