一昨晩、何十年振りかで大学時代の部活で一緒だった滋賀県のKさんから突然の電話があった。長らく聞いていない声であったので、こいつはこんな喋り方だったかなあと、確認するように聞いていた。
今年の年賀状で、皆定年を迎えた歳になり、一度皆で会って見たいと呼びかけていたのに対して、その労を自ら取ってくれたものであった。この8日には、同じクラブの宍粟市在住のIさんと一緒に、地域の大学同窓会の役員会後、飲みに出かけ、今週には皆を招集する連絡をするからと、言ったばかりであったので、以心伝心の感がした。
今回は、Kさんの近くの近江八幡を訪ね、一泊して水郷巡りでもしてはと、早くも3案ほどの日程が提示されたが、お任せすることにした。早い再開と懐かしさが込み上げて来た。どのように皆変ったのだろうか。白髪か、禿げか、メタボかガリか?楽しい思いが涌いてきた。
それから暫らくして、10時前に再びKさんから電話があり、愛知に在住のTさんの容態が悪いとの知らせが入ったとの連絡である。Kさんから三重に住む同窓のTUさんを通じてTさんに連絡をして貰ったところ。奥さんから喉頭がんが転移して脳に来ているようで、電話にも出られず、容態も悪いとの返事をもらい、急遽再開して、見舞いに行こうとの話になった。今年の年賀状では、取り立てて気になるような記述もなかったが、逆に自分でも、賀状には悪いとは書けないと思った。
何十年も前には、同窓のAさんを亡くし、それを知ったのも年賀状を送って、返送として奥さんから亡くなったとの連絡であった。まだ若いのに愕然としてしまったものである。今回もKさんからの電話を終えてから、胸騒ぎで寝付かれなかった。
皆で回顧談に更けようとしていた矢先であるから、Tさんも何か訴えようとしているのかも知れない。月末の日曜日しか全員が集まれないようであるが、元気で頑張って貰いたい。