子供の使いという言葉がある。使いを頼まれた子供は、言われた事は何とかやるが、それ以外のことは何もできないことから、自分では判断がつかず、さっぱり要領を得ないこととして使われている。
そのことを予め分かって用事を頼んでいるのであるから、不都合な結果が分かってからボヤいたところで、頼んだ大人の方が悪いのである。
しかし、大人がこのような判断しかねる場面に遭遇して、そのまま何もしないで帰ってくれば正しく「子供の使い」となる。
先日銀行へ頼まれて出かけた際に、預かった出金伝票の社印が不鮮明で、再度押印して窓口に持って来なければいけない羽目となった。経理担当者が丁寧に押印しておけば良かったのであるが、私も預かった際に、確認しておけば二度手間は省けたのであるが、それが出来ていなかったことでそのまま持ち帰ってきて「子供の使い」となった。
以前にも同様のことがあったので、担当者には注意し自分もその当座は見直しをしていたのでこのような事態は無くなっていたが、今回久々の再発である。矢張り日常作業の中の慣れになってしまっているようで、気の緩みであると思っている。
仕事とはこのような緊張から、だんだん慣れと共に気が緩んでくるものであろう。その繰り返しである。その緩んだ際に失敗や、災害、事故を起こすことになる。今日の自分は果たしてどちらなのだろう。