子供達にとって新学年になってからの最初の大きな関心事はクラス替えである。これまでの友人と別れないといけないし、新しいクラスメイトと果たして一緒にうまくやって行けるかが最大の関心事である。そのことがとても不安だと新3年生になる孫が打明けてくれた。
また親にとっては、担任の異動が関心事である。どの先生が自分の子供の担任になってくれるかで、まるで子供の運命が変るような関心である。兄や姉が上級生や卒業生に居ると先生の口コミ評価も聞いているので、○○先生だったら良いのにとかの評判も耳にする。一方高学年では女の先生よりも男の先生の担任を期待するようである。聞けば女の先生の優柔不断さや厳しさ、公平さ等が男の先生より劣っているとのことで、まるで男尊女卑である。教育にもそんなことがあるのだろうか。それも同性の女性からの言葉であるから、自分達女性の感情によるところが大きいと自認しているようにも思える。
新任の教師などは一層注目を集める。ところが学校卒業で全くの教育経験の無い教師に当ると、大丈夫だろうかとの心配である。昨日娘が立ち寄ってその話をしていたが、低学年の弟の担任が学校卒業したばかりの女の先生に当ったとのことである。来週には父兄参観があるそうで、娘の旦那が「それなら仕事を休んまなくてはならない」といかにも子供を思わんばかりであったと言っていたので、それを聞き噴出してしまった。何を話すでもないのに若い娘の教師を見るために、教育指導を見極めるという名目で休むようで、実に傑作である。その結果を聞こうと思っている。
子供達も親も先生の異動には関心があるようである。そのためか、新聞社も4月の始めに号外のように別版で教員異動のニュースを作成配布している。それだけ関心が深い現れである。
このように見てくると、姫路でも今年から出来た小中一貫校のあり方は、長いスパンで教育指導が望めるので良い制度ではないかと思われる。市内の繁華街の小学校が統合して中学校と一緒になった。3月にはその小学校での廃校式もあったニュースを読んだ。自分の母校が無くなるという寂しさはいつまでも残ることであろう。
小学6年生が新1年生の手を引いて面倒を見る習慣が学校では行なわれていたが、小中一貫では中学3年生が小学1年生の図式となるのだろうか。6歳差が9歳差となり、第2反抗期に入った中学生にとっては逆に本当の大人としての子供の教育の大切さを認識できるのではないかと期待もする。