毎朝特定のブログを拝見する日課となっている。自分のブログ掲載前に約10件程のブログにネットサーフィンしている。勿論それらは全てお気に入りに登録しており、その記事を拝見してから自分のブログを掲載している。
ブログ記事を読むだけでも楽しいのであるが、時折それらのブログにコメントが入っており、ブログ作者がそのことに気付いて返信を書いておられる。それを読むことに寄って、更にそのブログ作者の人柄も拝見することが出来る。
勿論今日日のことであるから、迷惑コメントも入っていることもあるが、流石それらは無視というか、キッチリ削除などして対処されて、必要なものだけを残されてコメントに返答されておられる。
コメントは記事に対する感想が多いのであるが、適切に皆さん回答されておられるので、ブログ記事だけでなく、このコメントのやり取りも面白いサブ記事として拝見することがある。
私のこのブログにも時折コメントが入っている。公開コメントには必ず返信するようにしているが、通常のブログ読者には見えない、私にしか見えない非公開のコメントもある。これは私の場合妹からのメッセージであるが、当初非公開のことがわからず返事のコメントを記入すると公開となったりしたものである。当然非公開の返信はブログでは出来ないからメールを使うしかないのである。
しかし、私のブログは日記でもあるから、失敗談や反省談もある。当然叱咤激励のコメントも頂いたりもすることがあるが、それ以外にも私の行動の非難や侮辱等の嫌がらせとしか思えない非難のコメントも頂戴することがある。最近の日々のことであればまだしも、自分で忘れようとしている古傷を掘り返して来る様なコメントを頂く場合がが有る。身から出た錆で、ブログが公開の場に出ている以上は仕方がないことであるが、昔の日記のことを掘り返してどうのこうの言われてイチャモンを付けられても、自分の行動を反省したりして書いたものに何の意味も持たない。私だけでなく家族についての非難には強い苛立ちすら覚える。このブログ記事が虚偽の記述であったら、そこまで調べてから非難したらどうなのかと思ってしまう。それこそ、その読者が昔から聖人君子の行動や暮らしをしているとは思えないのに、その方の聖人?になる前の昔のことを言われても平気であるだろうか。
少し横道に逸れたが、私の昔ブログで書いた
「たらい回し」も、当時はコメントのやり取りから結局一人歩きしたブログとなった。「医療系のブログで最も有名なサイトの一つ」と
「Yahooで紹介」されるまでに到っている。
ブログのコメントもその記事の清濁を握っているように感じるが如何であろうか。