安富冠句の歴史  

 元禄6年、京都五条坂の迎光庵に住む貞門俳諧師、堀内雲皷(1665-1719奈良県出)が当時の俳諧に飽き、俳諧の基調である「五、七、五」の最初の五文字を固定することを考え、「笠付け」と称して興した新詩型の作句法を源流としている。
 彼は冠句の始祖として「冠翁」と呼ばれ崇められている。江戸時代元禄の頃には多数の歌集を刊行している。京都の上徳寺には墓碑と句碑が建立されており、毎年五月に国風系と正風系の冠句会連合で冠翁忌が行われている。
 明治の晩年に神戸市北部を中心として豊国堂(中村)一閣翁が国風冠句会を創設され、その後宝塚市に兵庫県国風本会を置き隆盛を極めていった。
 この会の幹部として安富町出身で神戸市に在住しておられた彩雲軒(有末)紫水宗匠が、当冠句会の選者として後進の指導に当たられた。後に宗匠からご寄贈された「紫水杯」が今日も月例冠句会における最多選最高得点者に付与されているところである。
 安富町周辺においても明治時代には同好者で運営されていたようで、記録としは明治34年1月に一宮町の産霊神社(伊和神社東方)に奉納された冠句の額が確認されている。
 安富冠句会としての資料は同町関にある明治39年1月の水尾神社奉納冠句の「日露戦争凱旋記念」巻が有る。その後大正初期から有志により活発な句会が開催されていたようである。
 第二次大戦中は中断され、戦後世情の安定と共に豊かな趣味の会として復活していった。会員の中には県外にも応吟されて安富の名がしられるようになった。
 この中から平成13年12月に3名が立机(りゅうき)された。仙流荘(岸本)戸楓宗匠、広丘庵(広岡)佳月宗匠、天龍軒(山口)泉水宗匠である。
 佳月宗匠は人望厚く会長としてこの会を指導されてこられたが、平成20年他界された。戸楓宗匠は会の運営からは一歩引かれておられるが、お元気で現在も応吟もされておられる。泉水宗匠が現会長である。
 安富町も市町村合併で姫路市に合流し、姫路旧市内より多数の新加入会員があり、新進気鋭の人もおられて対外的交流でも国風、正風を問わず常に高い評価を得ておられる方も居て、益々安富の名声を高めている。
(資料参照:広岡佳月氏記載「国風」、「安富冠句会の歴史と現況」、小林善三郎氏作成「安富冠句会発行地巻号数調査資料」)

by kitamura1007 | 2009-11-02 07:15 | 冠句 | Trackback | Comments(0)

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