紅葉は里山の裾野まで降りて来ている奥京都の山々の光景である。午前中は小雨模様であったのだろうか、北の空は雨雲が漂い、フロントガラスにも少し水滴が付いたりする天気であった。
土曜日に西脇から福知山経由で国道175号線を通って京都の綾部へ出かけた。家内の実母や兄夫婦が暮している過疎の農家である。
雨上がりの曇天の空であるので陽の光を受けていない紅葉の彩が映えて来ない。時折山々の一角に薄日が差し込みその一帯だけがスポットライトを浴びて彩を引き立てている。見るからに陽が差し込めば全山紅葉のパノラマ風景を感じさせてくれるだろうと期待しながらハンドルを握っていた。
昼過ぎに到着したが、玄関は開くが肝心の実母が居ない。朝の電話では義兄夫婦は出かけるとのことであったので承知していたが、母が居ないので、高齢で耳が遠くなっている母親に家内は外から呼びかけていた。
私はもしやと思って家内を残し、直ぐ近くの畑に向ったら案の定、義母は畑作業を終えて帰ろうとしていた矢先であった。私達が来るということで、野菜を採りに出掛けておらられたのであるが、朝方からの雨が止むのを待って出かけたので、時計も持っていなかったので、そろそろ到着する頃と思っておられたようである。車にリヤカーを積み込み、義母を乗せて引き返すと途中まで家内が様子を見に来ていた。
家に上がり、家内が作って行ったお結びを一緒に食べて遅くなったお昼をした。食べながら家内と義母の会話を聞いていたが、柔らかい京言葉とキツイ姫路弁の混ざった京都弁の家内の会話が実に可笑しかった。
自分の生まれ育ってきた年月以上に、結婚生活の方が長くなり、姫路人間となりながらも、京都弁が矢張り身内との会話では、所々に出てきて、こんな言葉使いもそういえば使っていたなと思い出したりした。
義兄にお願いしていた、今回の目的である新米を分けて頂くことで、私所の分、長男所の分、長女も申し込んで来ていたので3世帯分各30キロを3袋用意して貰っていた。
さすが30キロ3袋の90キロ分を車に積み込む運搬は、少しの距離であるがキツイものである。農業は重労働であることを身をもって知ることが出来る。これを玄米であるから、今度は精米することになるので再びその重さを体験することになるが、美味しいお米を味わうことが出来ることは有り難いことである。