彼のアダ名は「絶壁」であった。後頭部が直角ではないにしても四角い頭であったので断崖絶壁からこのように名付けられた。昔の子供時代は殆どの子供は丸刈りであった。小学校のクラスでも長髪は確か京都から転校して来たI君一人ではなかったかと思う。
昨日の窓口にこの「絶壁」のY君が求職相談に来られた。最初はわからなかったが、名前と住所、年齢からそれと分かった。小学校6年生以来だから50年振りである。
彼は私のことはわかっていないようである。そうであろう顔を覆い隠すマスクをして応対しているので目元だけではわからないと思う。一瞬名前を告げて再会を確認しようと思ったが、断念した。
先日中学校時代の同級生ではなかったが、同学年のA君に窓口で再会して、最後に名乗ったことがあったが、彼は気まずそうにしていたことが印象に残っている。
同級生でも私は曲がりなりにも再就職できているが、彼は失業中である。成績も良く出来たので、進学高校に入り、大学進学もされたが、いろんな曲折があったようである。そのようなことを何十年ぶりかに再会した同期の者に話してしまったことを悔いたのかもしれないが、その後の来所はないようである。
今回の「絶壁」のY君もそのことが気になり、結局一職員としての対応を行った。彼は矢張り大きくは変っていなかった。小学校当時から理科系で、電気のことには滅法詳しかった。
確かお父さんが電気機関車か電車の運転手であるとのことから、自宅の部屋に線路を敷いて鉄道模型電車を走らせていたのを見せてもらったことがある。今で言うジオラマのような光景で、電車が行き交い鉄橋や駅を走っており、スピードも調整出来、あたかも自分が運転手の感覚を味わえたことが今も記憶に強く残っている。彼が作ったのかお父さんの作品だったかは覚えていないが、当時から彼はこのようなものには自由に扱えていた。既に「鉱石ラジオ」も作って聞かせてもらったりもした。
彼のそのような特性はその後電気店を自営されたようであるが、時代の波から閉店してサラリーマン生活をされているようであるが、今はパソコンに凝られて30台の機種が部屋にあるそうで、その部品を交換しては起動させているとの話であった。
メカに強いのは今も変わり無いようで、時折当時と同じ様な可愛い笑みを浮かべては得意そうに話しておられた。当時も自分の得意分野では話が尽きなかった。今回も私は聞き役に徹していた。そして彼の話す表情から、昔を思い出すようにしていた。
肝心の求職希望は事務員希望とあったが、それは無理であることを伝え、希望職種の選択を変えるように進言した。殆ど彼の話を聞いていたが、彼も自分の話を聞いてもらって納得したのか、また尋ねて来ますとの言葉で帰られた。横の職員は「今の人は一人で喋って帰られたようですね」と長時間の応対に感心されておられたようで、同級生であることを伝えたので更に驚いておられた。
この仕事をしてから、本当に色んな方と会うことが出来るが、まさか昔の同級生と面談するとは思いもよらなかった。