前々週に大学のクラブ同窓の三重に住むTさんから、現役達の
「定期演奏会」への同行を呼びかけられて、迷いながらも当初はお断りをしていた。御用納め後の年末の特別出勤の有無も取り沙汰されていたからだ。家内から折角のお声掛けなのだからと後押ししてくれて、先週に出席の返事をすることにした。
私への電話連絡後に、隣り市に住むIさんに連絡をすると言っていたので、当日のスケジュールを確認すべくIさんに電話を入れると、欠席連絡をしていたようで、当日所用があるとのことであった。
そんな訳でTさんに連絡返事をすると、喜んで滋賀から参加するKさんにも連絡するとのことで、昨日の12時半に長岡京駅で合流することとなった。
この駅は私の現役の頃は神足(こうたり)駅と呼ばれていた。この駅の直ぐ近くに家内の実家が有り、そこで私は下宿生活を2年間して、この近くの会社に学卒入社して入寮したが、同じ年の秋には大津へ企業移転した。
懐かしい町であるが、家内の実家もここから綾部に移転し義姉夫婦が下宿先に家を新築されて住いしており、私達も墓参りの際には立ち寄っているが、いつも車なので、この駅に来ることも無かった。
久々にこの駅に予定の30分前に到着し、周辺をウロウロ歩いて時間潰しをして、合流時間の前に出向いたが、案の定二人は到着していて、携帯から私に電話をしており、その着信音と私が呼びかける音が同じであった。
ここから会場までは15分程の歩行距離であるが、会場の開演までには時間があるので、道中の食堂で食事を取り、近くの長岡天神の境内まで出向き、私の新入社員時代のエピソード話などをして参拝をしてから、会場に向った。
数十年ぶりの定演であるが、音楽とは無縁の生活を続けていると、何かしら自分が行って来たことが夢のように感じてしまう。今回の演奏会を聴いて、20名足らずの演奏は過去の鳥肌を立たせるものでは無かった。 音楽的には素晴しい技術を少人数で構成しているのだろうが、私達の時代は百名を超える人数からするパワーの男声集団であったので、失礼かも知れないが最初の校歌からして可愛らしい感じである。結局最後のOBとの合同ステージでOBの方の50名を加えて、男声コーラスのパワーと繊細な妙味を味わうことが出来た。
何十年ぶりかの演奏会を聴く機会を得たが、逆に久々に聴衆になって聴く立場では肩の凝るステージであった。まして第4ステージは音声収録のアナウンスもあり、咳すら遠慮されたが、やってしまった。何とか回避したかったが、出物腫れ物で、咳こんでしまった。
コンクール出場時のあの緊張感を感じた次第であるが、聴衆の立場からすると、こんな苦しい演奏会は何時の日にか淘汰されてしまうのではないかと思うぐるらいに感じてしまった。緊張感が聴衆に伝わるのはいいが、聴衆に緊張を強いるのは、楽しい演奏会では無いように感じてしまった。
しかし久々の男声コーラスはいいものであり、高音、中音、低音のバランスを操り強弱コントロールをつけての合唱は、会社経営にも繋がるものであるとも感じ、指揮者=経営者の思いで生演奏を見ていた。