国語は余り勉強していなくて、古典や漢文の学習の時間が多かったようである。毎日新聞を読んでおれば現代文はOKだろうと勝手に判断していたものである。そのために未だ誤字当て字、乱文駄文で曖昧模糊、意味不明のブログが続いているので恐縮しているのであるが、過日私の周りに言葉の使い方により逆の意味に取れる事例があったので、紹介して自分も気をつけるようにしたい。
一つ目は、冬季オリンピック中の日本人応援記事の中で、「キム・ヨナ
には勝って欲しい」とあった。これだけだと、キム・ヨナ選手には是非とも勝利して金メダルを獲得して欲しいと、韓国国民の願いのように受け取って読み取ることができる。
一方、キム・ヨナ選手だけには絶対負けないで、浅田選手他日本選手は頑張って欲しいと、本命のキム・ヨナ選手をターゲットにした打倒キム・ヨナの日本国民の願望が表わされているとも読める。
このような真意を知って、この文章を書かれたものであれば素晴しい言葉のマジシャンである。国内外での政府間の交渉の経緯を纏めた議定書や合意文書にはこの手の、玉虫色の双方に都合の良い解釈ができる言葉がちりばめられている。
二つ目は、私がパソコンで清書役をしている冠句会の応吟紙の締め切りに間に合わず、郵送で送られてきた中の詫び状に、「うっかり」忘れていたのでとあり、その後に続く文面の中に「すっかり」忘れていたとあった。この「う」と「す」一字で同じ忘れ方でも随分違う。痴呆度合いがわかるというものである。
痴呆度合いなら、トイレで小の用を足してファスナを上に上げることを忘れたことがある。よそ事を考えながらか、何やら急いでいたのかも知れない。後で気が付いて赤面したことが有るが、これも下から上への忘れでは笑い話であるが、上から下へ下げることを忘れれば、これは悲劇である。ゆめゆめ忘れることのないようにいつまでもカクシャクとしていたいものだ。
国語のことからまたもや変な方に飛んでしまったようである。