「するな!」と言われれば無性にしたくなる反骨心の持ち主であるから、「書くな!」と言われれば無性に書きたくなって来る。24日の日曜日に孫を連れて安富町の「あじさい祭り」に出かけた。毎年孫を連れ出しては一時を遊ばしていた。あじさい祭りであるが、近くのあじさい公園には家内と1回来たぐらいで、あじさいの彩に圧倒される綺麗な公園であった。私の目的はこの時に出展されている文化展で、自分の冠句が短冊に転記されて掲示されているのを見に行くことである。ついでに他の出展物などを見て回り、屋外の出店での飲食やゲーム等を孫に遊ばせることであった。
ところが今年は、先月の例会ではまつり出展の案内もなく、この日を迎えたので、どうなっているのだろうと気にしながらいつも通りに孫を連れ出した。帰りにはその前を通る香寺荘にでも連れて行こうかと思っていた。10時半頃到着したが、既に始まっており、アトラクションなどを行っていた。大変暑い日で、孫達は早速かき氷を食べ出し、この間に展示施設に入ると矢張り冠句抜きで展示されていた。冠句だけではないが、いつもの半分程度の展示規模であった。今年の運営方針が変わったのであろうか。
外に出て各テントの出し物などを見て、孫達は希望の風船を手に入れ帰り際にお菓子釣りに興味を持ちしたいというのでさせていた。私は兄の方について先に進んでいた。家内は弟について次に進もうとした際に、幼児を乗せた乳母車がご婦人の脇見から家内の足に直撃して、家内が転倒してしまった。直ぐに家内の声で呼ばれたが、その瞬間を見ていなかったので、家内が様子から乳母車に足を取られて後ろに転倒したものと思えた。立ち上がれないので後ろから脇をかかえて起こせばよいと手を入れると、右手が変形しているように見えて痛がっていた。てっきり転んだ際に右手をつき捻挫でもしたのかと思い、日赤の献血車も来ており、看護婦が居ないかと尋ね、本部の係員も心配でそれなりの対応をしてくれた。先ずは救急車の要請であるが、炎天下の露天の前なので、車椅子で日陰に運び、患部をタオルで冷やしたりして救急車の到着を待った。間もなく20分から30分後に到着した。しかしここからが例によって受け入れ病院への搬送に時間がかかり出発を待った。
結局昨年1月に救急搬送でお世話になった新日鉄記念病院に決定して搬送され、その後を追った。娘達にも家内が救急車内から連絡したようで、私が病院に着くと娘夫婦は到着していて、処置室に見送ったそうである。診察の結果右橈骨(とうこつ)複雑骨折ということで、右足が障害で左手に杖を持っていたので、転倒した際に利き腕の右手で地面に手をついた際に親指側の骨を骨折したようである。こちらでの入院手術を希望せず、局部麻酔で整復してギブス固定してもらい帰宅して翌日、通院している姫路医療センターに治療に出向き、結局今日入院し、明日手術となった。もう直ぐ出かける予定であるが、家内からは口止めされていたが、記録として残すために記しておこう。