昨日帰宅するとテーブルに喪中はがきが置かれていた。見ると淡路のMさんからである。私の母親が淡路島出身であり、実家の前がMさん宅であった。お会いするのは葬式や法事の際であった。
普通文面には、誰が何時亡くなったので喪中のため賀状を欠礼しますとの挨拶が記載されているが、このはがきにはそのようなことは記載されておらず、果たして誰が亡くなられたのだろうかと家内と話していた。かえって憶測を呼ぶ文面となる。
兄弟であるのか、それとも独身と聞いていたが、内縁の配偶者がいて名前を出されないからこのような案内となったのだろうかとまるでミステリードラマの推理をするような話であった。結局詳しくは従姉妹に尋ねてみようと言うこととなった。
この時期既に2通の案内が届いている。月が替われば年賀状を出してしまってから喪中案内が届いたこともあった。最近は喪中といっても形ばかりの案内であって、初詣を控える程度と聞いているので年賀状が届いても差し支えないと聞いている。中高生までは年賀状も楽しみの一つであるから、親も厳格にはしていないと思われる。
情報社会は何でもないことでも知りたがる社会でもある。週刊誌が現在も続いているのは、ゴシップネタでも知りたいと願う読者が多いことの表れである。逆にそれを利用したマスメディアの力の脅威が叫ばれることもあるようだ。
いずれにしろ、一枚の喪中はがきに故人不詳であれば憶測がついてくるものである。