昨日長女から日曜日の昼に、校区の中学校で遺跡紹介の催しが有った際の写メを送って来た。事前に家内には中学校の体育館の下から、姫路城への隠し道があるとのことで、夫婦と小学の孫と一緒に見学に行くと聞いていた。私もこの中学校の卒業生であるが、その様な隠れトンネルの話など初耳である。
しかし、いかにもそれらを探索する様なことを言っていたそうである。案内も汚れて良い服装で参加をとのことであった。普通に歩いてもお城までは15分程度かかるから、もしトンネルともなれば、1時間近くあるだろう。それにしてもそのような地下道?のことなど聞いたことが無い。
どうも、結果は遺跡ととしての「外京口門」の紹介であった様である。当然のことながらお城を守る門であったことから、お城に続く抜け穴と勘違いしたものと思われる。丁度京都に向かう山陽道の出入口に当たる重要な門で、この名前から播但線の京口駅は名付けられたのだろうか。当時では京都は遥かに離れた所に有ると思われるが、京都への出入り口として、お城の建設にもとりいれられたのであろうか。
私の子供時代には、皮革の研究所や、女学校も有ったように記憶している。それにしても遺跡として埋め戻すだけでなく、広く市民に自分が暮らしている地域の歴史を知ることは、大事なことであると思われる。
by kitamura1007
| 2017-02-08 07:16
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