先日の朝日新聞朝刊の「天声人語」に萩原朔太郎の詩が一部掲載されていて懐かしく思った。大学時代の男声合唱団で歌った組曲の中から「五月の貴公子」の詩の一節が載せられていた。
今週は走り梅雨とかで雨の日が多かったが、文字通りの五月晴れの日など思い切りの深呼吸と背伸びをしたくなる。その時毎年「私は五月の貴公子である」のフレーズが浮かんでくる。
日常生活で全く音楽と無縁になっており、カラオケも何年も行っていないし歌ってもいない。歌を忘れた金糸雀である。それでいて、季節のフレーズとして朔太郎の「陽春」や「五月の貴公子」、梅雨時には誰の詩だったか忘れたが「雨の日の遊動円木」、春先から夏に掛けて草野心平作詞、多田武彦作曲の組曲「富士山」、年末の堀口大学の「人間の歌」の「年の別れ」などさわりの部分だけが口に出ることがある。4年間のクラブ活動の遺産である。
先日このブログに
「KawazuKiyoshi 」さんが立ち寄られ作曲をなさっておられるとかで、ブログをお尋ねして久々にクラシックを聴く機会を得た。そしたら無性に昔の曲が聞きたくなった。
楽譜などもどこにしまいこんだのか身近なところで見かけていないので、前に住んでいた家の机の周りに置いているのかもしれない。詩も再度読んでみたいと思ってパソコンを検索していたら、コーラスこそ無いが、
音源と歌詞が掲載されているのを見つけて、思わずその歌詞をメロディと共に歌いだした。何十年も前の情景がよみがえってくる。とても嬉しかった。
五月の貴公子
若草の上をあるいてゐるとき、わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいてゐるとき、わたしは五月の貴公子である。