昨日早朝2時過ぎに、叔母の看病に出かけている家内から電話があった。遂に来たかと言うのが、本心で思わず時計を見ながら寝床から起き上がり受話器を持った。
つい今しがた亡くなったと涙ながらに報告があり、直ぐに着替えて加古川の病院へ向かった。昨夜来の強い雨が上がり、気温が高いためか、ガスが発生しており街灯の下には煙が漂うように見える。
バイパスでは、トンネル内を走行しているようで、両サイドの街灯が霧の壁を作り出したようにその中に車が走っているようである。
病院の部屋に入ると、どうしたことか誰も居なくて空っぽである。ベッドに横たわる叔母のつい先ほどまで、生死の葛藤をし続けたであろう遺体と二人だけとなった。
思わず顔の額のあたりに手をつけると、まだぬくもりがある。酸素マスクや点滴等の管は全て外されていた。生前からの優しい穏やかな寝顔である。
暫らく向かい合って心の会話をし続けていたが、皆戻って来た。早速片付けが始まり、直ぐに看護婦二人が死後の処置に来られた。持った荷物を駐車場の車に運んだ。
3時半に葬儀屋が遺体を引き取りに来られるとのことで急いでいた。部屋に戻ると先ほどの遺体の顔には白い切れが掛けられてあり、それを剥がすと少し白くなっているようだった。手は胸元で合掌されて布団が掛けられていた。
間もなく医者と同じ白衣を着た葬儀屋が遺体の運搬に部屋に来られたので、最期の荷物を持って先に出た。頼まれたテレビのカード精算を行い、部屋に戻るともう誰も居なくて、からのままであったので、駐車場に急いで戻り、横の棟の地下から出てきた葬儀屋の霊柩車らしき車が、霧で見通しが悪いが、赤い尾灯が尾をひいたように走り出て行ったので、自分の車に戻りその後を追った。
信号待ちで、その車に追いついたが、その車には家内が乗っていることになっている。普通は喪主であるが、車で病院に来ているため、乗って帰らないといけないので代行したわけである。
自宅に戻り、北枕で遺体を寝かせて、別な葬儀屋のスタッフが来て祭壇を作っていた。簡単な手配の打ち合わせが始まり、全て6時頃のお寺さんとの連絡で時間が決定することになる。
私は、仕事があるので、家内を残し自宅に戻った。いつもの定刻に出て仕事に就いたが、前日の残していた仕事や、この日にまとめものをしようとしていた仕事に追われた。
定時で帰宅してから、戻っていた家内を連れて再び東加古川の叔母宅に向かい、決定していた事柄などの報告を聞き、喪主挨拶などの打ち合わせをしたりして、途中買って持っていった夕食を食べながらであったが、家内にしろ、従姉にしろ2晩ほど寝ておらず、疲れはピークに達しているであろうが、今日が友引で葬式が一日延びたこともありあり、明日の葬式であるが、頑張ってもらいたい。結局戻って風呂に入って寝入りが12時まえであった。