月曜日会社から帰ると家内が「お母さん帰りはった」と珍しく京都弁で報告し出した。4時頃に綾部から義兄夫婦が車で迎えに来られたようである。朝の様子では帰るような話は全く無かったので、どういうことかと着替えもせずに聞き質すと、前日から食べた物をもどしたり、下痢の症状であったので、こちらに来られる際に持って来るのを忘れておられた健康保険証を義兄に送ってもらうべく電話をしたところ、郵便だと時間がかかるので持って行くとの電話に出た義姉から要件を聞いた兄から電話があったそうで、保険証を持って来るなら連れて帰って欲しいと義母から要請をしたらしい。
長いこと世話になったのでもうこれ以上迷惑は出来ないとのことだったようである。少し前に家内から、そのようなことは聞いていたが、また急なことであったようで、義兄が来るならと母は早速帰り仕度にかかったようである。
家内は私に連絡もせずに京都に帰すことになると、自分が叱られると止めたようで、長岡京に住む姉にも連絡をして思い留まらせようと電話連絡したようであるが、結局したいようにさせてはとのことだったようである。 上の娘にも連絡したら、「お母さん何て冷たいんや。お婆ちゃんを追い出しとるんと違うか?」と言われたそうである。結局それらのことを義母にも告げたようで、私が帰宅するまで待つつもりでおられたようであるが、連れて帰ってもらう義兄の都合もあり「よろしゅう言っとくれや」との言葉を家内に残して帰って行かれたようである。
昨年よりも早くなってしまった。昨年は2月初めに上の娘の出産後の退院で実家に戻ると言うことで帰られたが、今年はそれよりも1週間早くなった。昨年のように畑云々とは聞かなかったが、前日の風邪の傾向からか、お腹を壊されて食べ物を吐かれて、横になっていろいろ考えられていたのだろうか。
雪が降り積り、寒い北風が舞い散る過疎の山村での暮らしでも、近くの畑作業が恋しいのだろうか。今年米寿を迎える義母であるが、気はしっかりされておられるようである。
柔らかい京言葉を聞かれなくなって残念である。家内は今や京言葉は無く、汚く聞える播州弁でになってしまった。